初めての旅行
(1987.3.30〜4.1)

3.30
京急久里浜−(京急線特急)−横浜−(相鉄線急行)−海老名−(小田急線急行)−小田原
3.31
小田原−(急行銀河81号)−大阪−(大阪環状線)−大阪城公園−(徒歩)−大阪城−(徒歩)−大阪城公園−(大阪環状線)−大阪・梅田−(阪神線)−甲子園−(徒歩)−甲子園球場−(徒歩)−甲子園−(阪神線)−梅田−(地下鉄)−心斎橋−(徒歩)−日本橋電気街−(徒歩)−通天閣−(徒歩)−恵美須町−(阪堺線)−今船−(徒歩)−花園町−(地下鉄)−西梅田・大阪−(L特急雷鳥号)−金沢−(急行能登81号)−
4.1
−(急行能登81号)−上野−(山手線)−品川−(京急線特急)−堀ノ内−(京急線)−浦賀

 


◎国鉄最後の日

私の最初の旅行は奇しくも国鉄最後の日に始まった。(近場の旅行はこれまでもあったが。)ちょうどJR最後の日にJR全線乗り放題の「謝恩フリー切符」というのが出るのを知り、友人を無理矢理引き連れ大船駅で徹夜してやっと手に入れたのである。もっと遠くへ、という考えもあったがある程度観光したかったので大阪に行くことに決定した。なお、熱海以西に行くのはこれがはじめてである。


◎初めての夜行列車

時間を有効に使おうと夜行列車の利用を考えていたが、大垣夜行は大変な混雑が予想されると聞いていたので、ちょうどこの日に運行されていた「臨時銀河」の指定券を入手した。座席車なので1,700円の追加ですむ。また、謝恩フリーは3月31から有効なので、0時をすぎる小田原までは京急−相鉄−小田急を乗り継いでいった。最終の小田急線下りはかなり閑散としていた。しかし、小田原駅に着くと同じ輩と思われる人たちが大勢いた。さて、しばらく待っているとようやく入線。椅子はちょっと座りづらいか。初めての夜行列車であったので寝れるか心配だった。というより車窓が気になって全然眠らなかった。


◎大阪到着

翌朝、目が覚めると既に京都付近であった。初めての関西上陸。見るもの見るものがなんでも新鮮に見えた。ようやく大阪に到着。最初の目的地は当然。「大阪城」。大阪といえばこれである。大阪環状線を見て「何で中央線がはしってんねん??」とこちらもまた驚きの声。しばらくして真新しい大阪城公園駅に到着。そう、この駅は最近設置された駅なのである。15分ほど歩くと大阪城前に到着した。ガイドブックで見ていたとおりすばらしく大きな城である。ただ、来たのが早すぎてまだ開館していなかった。しばらく周囲を歩き回り、入場開始時間と共に天守閣へ。ここからの眺めもまたすばらしかった。本当に来て良かったと思ってしまった。

大阪城 「でかい城だ」というのが初めて見た感想。


◎甲子園

さて、今回旅行に同行したT君は大の野球好き。当然鉄に興味があるわけなく、今回も甲子園に行くことを条件に無理矢理引っ張ってきたのである。私も結構野球は好きな方であったので、喜んで同行した。梅田まで戻り、そこから阪神電車で甲子園へ。駅に着くとそこにはTVでしか見たことの無かった甲子園球場が!感動!!。早速外野自由席券(一番安かったので)を購入して球場に入った。おぉ!!ラッキーゾーンだ!アルプススタンドだ。2人とも「絶句」だった。ちょうど春のセンバツが行われていた時期であり、試合は地元関東の国学院栃木とどこか(熊本工だと思ったが)との対戦であった。しかし栃木かなりの劣勢。結局試合終了まで見ることなく球場を後にした。

  

阪神甲子園球場 選抜高校野球の真っ最中。


◎大阪ミナミ

今日1日と時間がないでどんどん回ることにする。甲子園から梅田を経由、心斎橋まで行きそこからミナミ方面に歩くことになった。アメリカ村や道頓堀にも行った。道頓堀では例のグリコの看板や動くかにの看板を見て驚いた。日本橋はさながら秋葉原のよう。そして通天閣。高さこそ東京タワーには及ばないが、その独特の形と上からの景色の良さが気に入り、十分楽しむことが出来た。近くから阪堺電車が出ていることも知っていたので地下鉄隣接駅の今船まで乗り、そこから地下鉄で梅田(大阪)に戻った。

      

左 「かに道楽」の看板。 中 通天閣  右 阪堺電車


◎金沢−いよいよ国鉄最後

大阪からは雷鳥で金沢に向かった。特に意味はなかったのだが、帰りも夜行に乗って、国鉄最後の瞬間を車内でと考えたのだろう。結局金沢では駅外に出ていないし。(ちなみに、謝恩フリー切符は夜行を利用した場合、4/1の下車駅まで有効だったような気がする。)夕暮れ前には金沢駅に着いたのだが、ホームは夜行列車「能登」を利用すると思われる人たちでごったがえし、その列もぐちゃぐちゃだった。仕方なくそれと思われる最後尾に並んでいたのだが(実は違う場所に並んでいた。)4時間ほど並び、どうやら定期の「能登」ではこれらの人々を裁けないことを悟ったらしく、臨時の「能登」が出ることになったようだ。これは異例のことである。車両も客車でなく特急形の485形が使用された。違う列に並んでいた私たちはもちろん?この臨時能登を利用することになり、無事に座ることもできた。さて、後は国鉄最後の瞬間を迎えるのみ、と思いきや深い眠りについてしまい、目が覚めるとすでに軽井沢の手前であった。どうやら「瞬間」は多少の歓声が上がったらしいが全く気が付かなかった。到着した軽井沢の駅では、新生JR開始日「62−4−1」の日付の入った入場券を購入する人々でごった返していた。私も便乗した。(実はこれが初めての硬券入場券購入)。そんなこんなであっという間に上野到着。家にに戻ると「国鉄最後の日、各地で盛り上がる」といった新聞記事が目に飛び込んできた。

    

能登号の救済列車 金沢駅にて。


*これが私の「初めて」の旅行である。せわしさは今の旅行に通ずるものがあるのではないか??しかし、国鉄最後の瞬間を車内で過ごすことが出来たのは自分としても貴重な体験だと思っている。また、今回自分たちだけの単独旅行が成功したことによって、今後の一人旅(または友人との旅)に自信がもてるようになったのも大きな収穫であった。

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