(1997.8.8〜8.11)
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京急久里浜−(京急線特急)−横浜 |
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横浜−(快速ムーンライトながら)−大垣−(東海道線)−米原−(近江鉄道)−高宮−(近江鉄道)−多賀−(近江鉄道)−高宮−(近江鉄道)−近江八幡−(近江鉄道)−八日市−(近江鉄道)−貴生川−(草津線)−柘植−(関西線)−加茂−(関西線)−天王寺−(阪和・紀勢線)−藤並−(有田鉄道)−金屋口−(有田鉄道)−藤並−(紀勢線)−御坊−(紀州鉄道)−西御坊−(徒歩)−紀伊御坊−(紀州鉄道)−御坊−(特急オーシャンアロー)−新大阪−(紀勢夜行)− |
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−(紀勢夜行)−新宮−(紀勢線)−多気−(参宮線)−二見浦−(参宮線快速)−鳥羽−(近鉄線)−賢島−(近鉄線特急)−鳥羽−(参宮線快速)−二見浦 |
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二見浦−(参宮・関西線快速)−四日市−(バス)−近鉄四日市−(近鉄線)−内部−(近鉄線)−日永−(近鉄線)−西日野−(近鉄線)−近鉄四日市−(近鉄線急行)−近鉄富田−(三岐鉄道)−西藤原−(三岐鉄道)−伊勢治田−(徒歩)−阿下喜−(近鉄線)−西桑名・桑名−(関西線)−名古屋−(東海道線新快速)−豊橋−(東海道線)−浜松−(東海道線)−静岡−(東海道線)−大船−(横須賀線)−久里浜 |
◎恒例の「鉄道旅行?」
京王帝都のバイト時代の友人と年2〜3回行っている恒例の旅行。幹事は今回も私。旅行目的は「伊勢で海水浴!」ということになってはいるが...今回の参加者はこの企画皆勤賞の京王フェチO君・隠れ鉄のHくん・その友人Sくん・165フェチYくん(本文参照)の計5名。青春18きっぷをFULLに利用した典型的貧乏旅行。しかし一泊は旅館に泊まってちょっと贅沢しようと考えた。
◎「ながら」は大混雑!
今回は「ムーンライトながら」を利用した。Y君以外の4人は横浜で集合し、そこから乗り込んだ。O君はかなり元気だ。Yくんは大船から乗り込んだ。この列車は、ほとんどの車両が小田原までは(一部名古屋まで)指定席だが、小田原からは自由席となってしまう。小田原駅にはホームを埋め尽くさんばかりの人が並んでおり、乗り込んでくるや超満員になった。席を確保しているから良いものの、通路・デッキは人で埋め尽くされておりトイレにも行けやしない。Yくんがうまそうに食っている牛丼を横目に見ながら眠りについた。
◎近江鉄道
翌朝、Yくんは名古屋で降りた。名鉄に乗りに行くらしい。私たちは米原まで行き、そこからO君と2人で近江鉄道に乗った。この鉄道は西武鉄道の子会社で、元西武の車両も数多く活躍していることから、以前から乗ってみたいと思っていた。今回はラッキーなことに近江鉄道が毎第2/第4土曜に発行している全線フリー切符を利用することができたので、全線踏破してしまった。沿線には目立った観光地はなく、地元利用者の利用が主のようだ。車両も皆西武鉄道のものににている(もしかしたらもと西武の車両か?)ので、なんか旅行している気分ではなかった。
◎有田鉄道
貴生川から草津線・関西線・紀勢線を乗り継ぎ、和歌山で全員と合流の後、藤並に向かう。ここからは有田鉄道という私鉄がでている。元はみかん輸送のために造られた鉄道であったが、近年はトラック輸送に変わり、また乗降客も減少の一途をたどって存在が危ぶまれたのだが、地元の人々の努力で何とか存続している、という鉄道である。藤並−金屋口間を結んでいる。私たちが乗ったのはこの日の最終列車!(それも午後は1往復しかない)。この区間はバスも並行して走っているので、列車の存在が危ないのも無理はない。車両はレールバス1両で悪路を20分ほどかけ(ものすごく揺れた)金屋口についた。藤並に戻る列車はないので、バスで戻った。
◎紀州鉄道
藤並から紀勢線を南下し、御坊に向かった。ここから西御坊まで(2.7km)は日本一のミニ私鉄である紀州鉄道が走っている。車両は懐かしさが漂うレトロなもの(車内は白熱灯)。短い時間の乗車だったが、結構おもしろかった。西御坊からさらに線路が続いているが、これは数年前に廃止された日高川までの路線の名残である。帰りは紀伊御坊まで歩き。そこから御坊へ戻った。
◎紀勢線の名物列車
御坊から新宮に行く予定だったが、いったん逆方向の新大阪に戻り、そこから引き返すことになっていた。何故そんなあほなことをしたかというと、紀勢線の名物列車に乗るためである。ひとつは御坊から新大阪まで乗ったオーシャンアローである。最近登場した紀勢線の新型特急である。外見・車内とも斬新なスタイルで、非常にさわやかな印象を受けた。快適な時間を過ごし、新大阪へ向かった。ここからは、2つ目の紀勢線の名物紀勢夜行に乗ることになっていた。この列車か新大阪−新宮間を結ぶ伝統のある夜行普通列車である。昔は“南紀”“はやたま"などの愛称を持ち、寝台車を連結したこともあったが、現在は165系で運転している。そもそもこの列車は大の165ファンYくんのリクエストに応えたものである。車内は例のクロスシート(通称直角いす)で、長い時間乗るにはかなり苦痛であったが、昔の大垣夜行を彷彿させるものがあり、何か懐かしかった。
◎海水浴
新宮に到着後、列車を乗り継ぎ伊勢に向かった。今日の目的は海水浴である。海水浴場のある二見浦へ向かった。ここの二見浦海水浴場は明治時代からの古いものであるらしい。近くには夫婦岩などの観光地もあり、夏は海水浴客や観光客でごった返す。今晩泊まる旅館に荷物をおいて海水浴へ行くこととした。(O君とY君泳がず、どっかに行ってしまった)しかし予想通り海水浴場は大混雑、長旅の疲れもあって3時間も泳がないうちに帰ってきてしまった。そのあとは暇だったので賢島に行ってぶらりと散歩して、また戻った。今回は、私が企画する旅行では珍しく、旅館に泊まることにしていた。ちょっと設備が古いことなどが気になったが、夕食には海の幸がでて、結構うまかった(ご飯のお代わりも自由だったし)。
◎ナローゲージ
翌日は、実はどこに行くか決めていなかった。各々自由行動としていたが。結局珍しい鉄道に乗りに行くことになった。それは四日市周辺を走るナローゲージのことだ。ナローゲージとは軌道幅が762mmしかない小型の鉄道で、現在日本には4路線しかない。まず近鉄四日市からでている内部線に乗った。周辺は典型的な住宅地といった感じだ。あっという間に内部に到着。日永まで引き返し、分岐している八王子線にも乗った。周辺の西日野はこじんまりとした駅。昔はこの先の伊勢八王子までのびていたらしい。また四日市に戻って、今度は近鉄富田へ向かった。ここからは三岐鉄道に乗った。この鉄道も近江鉄道と同じく、元西武に車両を保有している鉄道である。現にホーム脇に止まっていた列車は、こないだまでよく乗っていた西武の黄色い車両ではないか?この乗り慣れた車両で山奥にある西藤原に向かった。そこは山奥の何もない駅。こんな路線が儲かっているのかいな、と思ったらどうやら沿線のセメント輸送でもうけているという話。さてそこから戻ろうとするが、今きた同じ路線をまた戻るのもつまらない。地図を見ると三岐鉄道とナローゲージの近鉄阿下喜線が並行しているではないか。駅員に聞くと三岐鉄道の伊勢治田から阿下喜まで歩いて20分ぐらいというではないか。早速伊勢治田へ向かい、歩いて阿下喜へ向かった。駅前には地図があり。それを頼りに難なく阿下喜に着くことができた。そこから阿下喜線に乗って西桑名まで戻った。
◎帰りはつらい...
桑名から名古屋へ向かい、HくんとSくんは新幹線で東京に向かった。私たち三人は普通列車を乗り継いで帰ることになっていたが。これが大変だった。豊橋から静岡までの列車は、編成が短く、また通勤時間帯だったため大混雑。静岡からはながらの車両を使った普通列車だったがこれも座れず(清水から座れたが)、疲れもあってはすっかりみんな機嫌を悪くしてしまい、終いは皆無言だった。
*一応海水浴が目的だったが、やはり予想通り鉄旅行になってしまった。また、途中でみんなの意見が合わなくなり、険悪な雰囲気になったりもした。まあいつものことだがあまり気にしなかったが...しかし結構みんな楽しんでくれたのではないか?やはり皆が楽しむ旅行を計画しないと幹事としては納得できないので。一応みなさんの希望に基づき計画したのだが、それがなかなか難しい。